中華民国・台湾の国旗

歴史が苦手な人でも分かる!なぜ中華民国ではなく台湾なのか

 

台湾の本当の名前は?

 

こんにちは!耳が聞こえないブロガーこと、星夜見ほしよみです。

突然ですが、あなたは台湾の正式名称をご存知ですか?

歴史に詳しい人、あるいは台湾に一度でも行ったことがある人なら知っているかもしれませんね!

 

実は、人生で初めて台湾に行くまで、ぼくは「台湾という名前の国」なのだと思っていました。

でも、その認識は間違っていたのです!

パスポートに押された入国スタンプ、そして台湾のお金を手にしたとき、

初めてぼくは、台湾の本当の名前は「中華民国」だということに気づきました!

それまでは、「中華民国」は清国や明国のように、昔の中国に存在していた国で、

今は無くなっているものとばかり思っていたのです。

 

 

上の写真は100台湾ドルです。

このように、デカデカと「中華民國」と書いてありますね!

(気品のある優しげな人物は、中華民国を建国した孫文さんです。)

 

 

ぼくが無知なだけだったのだろうかと思って、ぼくの家族や友人にも、台湾の正式名称を知っているかどうかを聞いてみました。

 

ほしよみ
ねぇねぇ、台湾の本当の名前って知ってるー?

お母さん
えっ?本当の名前・・・台湾は台湾じゃないの?
ほしよみ
中華民国が台湾の正式名称なんだってさ!

お母さん
そうだったんだ!知らなかったわ。建物の雰囲気が中国っぽいもんね。

 

驚くことに、母も、祖母も、友人も同じような反応だったのです!

なので、台湾の正式名称は、意外と知られていない・・・のかも?と不思議に思いました。

ただ単に、ぼくの周りには、歴史に興味がある人が少ないだけかもしれません。

なぜ「中華民国」ではなく「台湾」と呼ばれているのか?

 

では、どうして正式名称のはずの「中華民国」ではなく、一般的に「台湾」と呼ばれているのでしょうか?

そこには、とーっても複雑な台湾の歴史や理由が絡んでいるのです!

このテーマだけで分厚い本が出来てしまうほどに・・・。

 

簡潔にまとめると、

  1. 中華人民共和国(以降、中国と記す)が「中華民国」の存在を認めない
  2. 大人の事情で日本はじめ世界の国々が「中華民国」を認めることが出来ない
  3. もともと台湾に住んでいた人たちは「中華民国」より「台湾」が良い

 

ざっと、こんな感じでしょうか。

ひとつずつ、分かりやすくお話していきたいと思います!

 

①中国が「中華民国」の存在を認めない

 

ここが一番複雑なところだと言っていいでしょう!

というのも、中国の歴史を詳しく遡ることになるからです。

 

先に結論から言うと、今の中国と台湾は、もともとは一つの国でした。

日本でも、何を信念とするかで、政治のやり方や考え方の違いで自民党や民主党が存在しているように、今の中国は「共産党」、台湾は「国民党」として存在していました。

しかし、考え方が違うので、お互いに争って分裂してしまいました。

(今の野党は細分化されすぎて分かりづらいので、前に存在していた民主党を例にあげました。)

だから、中国は台湾を国家としての「中華民国」ではなく、中国の領土の一部であると主張しているのです。

 

つまり、

中華人民
共和国
中国が2つもあってはならん!自分たちこそが正真正銘の中国である!
中華民国を名乗る者は、我が中国の領土を不法に占領している不届き者だ!

と言っているわけですね。

 

 

 

ここから、もう少し詳しく中国の歴史を交えながらお話していきますね。

そもそも「中華民国」とは、先ほど100台湾ドルに登場した孫文が、腐敗した清王朝を倒し君主制(皇帝が国を治める仕組み)をなくして、共和制(国民が政治に参加出来るよう)に変えよう!と辛亥革命しんがいかくめいを起こし、1912年に中国の南京という場所で建てた国です。

「中華民国」と言えば、こちらのイメージのほうが強いのではないでしょうか?

実際ぼくも、このイメージが強くて、「中華民国」は昔に存在していた国という感覚をもっていました!

 

では、どうして、大陸にあった「中華民国」が台湾に移っているのでしょうか?

一言でいえば、「共産党」に負けた「国民党」が台湾に逃れたからです。

 

孫文率いる「中華民国」は、1912年に清王朝を滅ぼすことに成功しましたが、その後も敵が次から次へと現れて、何度も何度も革命を起こしているのです。そうこうしているうちに1925年、孫文は肝臓ガンを患い、「革命いまだ成らず」という言葉を残して志半ばに病死してしまいます。

孫文が生きている間は、「中華民国」は中国を統一し民が生活しやすい国にすることが叶いませんでしたが、孫文の遺志を継ぐ者がいました。それが、孫文の弟子であった蒋介石しょうかいせきです。

 

孫文
革命いまだ成らず・・・あとは頼んだぞ・・・。

蒋介石
お師匠・・・天から見守ってくだされ。国民のための中国統一という、お師匠の遺志を俺が実現させてみせまする!

 

(上の写真は、台北の中正紀念堂に置かれている蒋介石さんの銅像です。ニンマリ笑っていますね!)

 

孫文の死後、蒋介石は「国民党」の革命軍を率いる司令官になりました。

そして、1926年に、中国の北部に居座っていた敵を倒すために、「北伐」を実行することにしたのです。

実は、「共産党」と「国民党」は、お互いに最初から最後まで争っていたわけではありません。時には、共通の強大な敵に立ち向かうために、手を組んだりもしていたのです。

この「北伐」では、「共産党」と「国民党」が手を組みました。

 

しかし、北伐軍が上海に到着する前に、先に「共産党」が上海で虐げられていた労働者に反乱を起こさせ、敵を追い払って臨時政府を作っていました。

あまりにも「共産党」の動きが早く強かったので、これを恐れた蒋介石は「共産党」を潰すことを決めたのです。

蒋介石率いる「国民党」は、上海から「共産党」を排除することに成功し、さらには全国の共産党員を大勢殺害したり逮捕したりしました。その後、中断した北伐を再開させて敵の本拠地であった北京を占領。

こうして「中華民国」は、1928年に念願であった中国統一を果たしました。

 

当然、排除された「共産党」は黙ってはいられません。のちに、今の中国を建国することになる、毛沢東もうたくとうという人が立ち上がりました。

(毛沢東さんはこんな感じの人です!)

毛沢東は、「共産党」のための独立国家である「中華ソビエト共和国」(今の中国の前身)を新しく建国しました。

 

実はこの時、日本の経済が大不況に陥ってしまい、領土を拡大して利益を得ようと、1931年に日本が「中華民国」に侵略を開始。これを満州事変と言います。

それでも、「共産党」の独立国家が出来たことは、蒋介石にとっては日本が攻めてきていることよりも危機感を抱かせることだったのです。

だから蒋介石は、とりあえず日本には抵抗せず放置して、毛沢東率いる「共産党」の独立国家を全力で倒すことを優先させました。

 

1934年から1935年の間、「国民党」は8万6千の兵力があった「共産党」を、しつこく攻めて最後には8千になるまで追い詰めます。なんと、毛沢東らは約1万2000kmを徒歩で逃げながら、「国民党」と戦って生き延びたのです!

しかし、1937年に日中戦争が本格的にはじまると、さすがにこれ以上は日本を無視出来ないと考えて、「共産党」は「国民党」に手を結ぶことを提案します。

その時に「共産党」は中華民族が一つになり、国民のための国家を作り上げることを目標として宣言し、そのために条件として「共産党」の独立国家である「中華ソビエト共和国」を取り消し。さらには、「共産党」の軍隊を、「国民党」の革命軍に編入させることを約束しました。

蒋介石は、日本の侵略に危機感を抱いた部下から軟禁された上で強く説得されたこともあって、ようやく「共産党」を受け入れて手を結んだのです。

 

一致団結した「中華民国」は、日本と激しく戦い、奪われた領土を取り戻していきました。

そうしてるうちに、何を思ったか日本はアメリカの真珠湾に攻撃をしかけ、1941年に太平洋戦争に突入。

だんだん日本は、多勢に無勢となって、1945年アメリカに広島と長崎に原爆を落とされたことをきっかけとして、無条件降伏することになりました。

こうして、「中華民国」は日本との戦争に勝利しました。

蒋介石率いる「中華民国」は戦勝国として、第二次世界大戦の連合国と認識され、国連の創設に関わり常任理事国になったのです。

 

日本に勝った後、「国民党」と「共産党」は相変わらず考え方の違いで仲が悪く、今にも再び争いそうな雰囲気になっていましたが、お互いにぐっとコラえて何とか共存できる道はないか?を探ります。

しかし、共存路線は上手くいかず、結局1946年に再び武力で争うことになってしまいました。

最初は人口や兵力で「共産党」よりも3倍ほど勝っていた「国民党」が優勢でしたが、「共産党」は農民が有利になる政治を行い農民から支持されたのに対し、「国民党」は「中華民国」の政治の腐敗が進んで国民から支持を得られず、負け戦が続いて追いやられていきました。

1949年、蒋介石率いる「国民党」は、これ以上は敵わないことを悟って台湾に敗走し、台北を「中華民国」の首都としたのです。

そして、同じく1949年、毛沢東率いる「共産党」は、大陸に「中華人民共和国」を建国しました。

 

VS

 

長くなってしまいましたが、大まかな歴史の流れはこんな感じです!

こういう流れで、もともとは一つだった台湾(国民党)と中国(共産党)が、分裂してしまったのです。

だからこそ、中国は台湾を国家としての「中華民国」と認めないし、台湾は中国の領土という認識なのです!!そして、台湾の「国民党」もまた、中国を認めず「中華民国」は大陸の中国全土を領土としている国だと主張しています。

 

②大人の事情で日本はじめ世界の国々が「中華民国」を認めることが出来ない

 

日本をはじめ世界各国は、とある大人の事情で、台湾を国家としての「中華民国」と認めることができません。

その理由は、先ほどお話した、中国が「中華民国」の存在を認めないことに繋がります。

 

中国は、世界中に向けて、

中華人民
共和国

我々「中華人民共和国」こそが正真正銘の中国だ。台湾は我々の領土である!台湾を国家としての「中華民国」と認める国とは、一切外交しないし関わらないぞ!

と主張したのです。

 

中国の主張を聞いた日本はじめ世界のほとんどの国は、

世界の国々
あー・・・うん。「中華人民共和国」のほうが領土は大きいし人口も多い。
台湾より、「中華人民共和国」と付き合ったほうが我が国の利益になるな。

と考えて、中国と付き合うことを選択し、台湾を国家としての「中華民国」と認めることが出来なくなったのです。

ただし、中国と約束した手前、表面上は台湾を国家としては認められなくても、台湾との民間交流は続いており自由に旅行や貿易が出来るように関係をもっています。

 

 

しかし、世界の全ての国が「中華民国」を認めていないわけではありません。

おそらく初めて聞く国が多いと思いますが、

  • キリバス共和国
  • マーシャル諸島共和国
  • ナウル共和国
  • パラオ共和国
  • ソロモン諸島
  • ツバル
  • バチカン市国
  • スワジランド王国
  • ベリーズ
  • グアテマラ共和国
  • ハイチ共和国
  • ホンジュラス共和国
  • ニカラグア共和国
  • パラグアイ共和国
  • セントクリストファー・ネイビス連邦
  • セントルシア
  • セントビンセントおよびグレナディーン諸島

上記の17ヶ国は、台湾を国家として認め、中国とは付き合わないことを選択した国々です。

昔は、台湾を国家として認めていた国はもっと多かったのですが、だんだん中国と関係をもつ国が出てきて減ってきています。

 

ちなみに、1949年「中華民国」が台湾に移った後も、アメリカの支援があったおかげで「中華民国」は国連の一員、そして常任理事国であり続けていました。

しかし、1972年にベトナム戦争が長く続いて苦戦したアメリカが、それを解決させるために中国に近づいて「中華人民共和国」を認めたため、「中華民国」に替わって「中華人民共和国」が国連の一員として常任理事国になりました。

それに対し激怒した蒋介石は、自ら国連を脱退することを決めて、「中華民国」は国際社会で孤立することになってしまったのです。

 

③もともと台湾に住んでいた人たちは「中華民国」より「台湾」が良い

 

1949年、蒋介石が中国の共産党に負けて台湾に逃げたことにより、「中華民国」は台湾に移ったことをお話しましたね。

しかし、当然ながら、「中華民国」の人たちが台湾に来る前から、台湾で暮らしていた人々が存在します。

 

実は、1895年に日本が清国と戦い勝利したため(日清戦争)、もともとは清国の領土だった台湾は、1945年に日本が負ける前まで日本の領土となっていました。

ずっと日本に支配されていた台湾。

それが祖国に返還されることになって、台湾人は「これからは自由になるんだ!」と大いに喜んで、蒋介石ら「中華民国」の官僚や軍人を歓迎しました。

ところが・・・、「中華民国」の政府は腐敗していました。

大陸からやってきた官僚や軍人は、台湾人の物資を奪ったり、理由もなく殺害したり、強姦などを繰り返しました。しかし、その犯人は裁かれるどころか許されることが多かったのです。

物資を大量に奪われた台湾は、物価が高騰し、多くの企業が倒産し失業者がたくさん出てしまいました。

 

かつて、日本が台湾を支配していたときは、そういった不正は少なく、日本語を使うことを強制したり天皇への忠誠を誓わせたりなどの厳しい同化政策はあったものの、

  • 台湾の近代化のために、都市を整備した
  • 鉄道を建設し、台湾の交通事情を改善した
  • 河川を整備しダムを建設することによって、農業が改善され農民の収入が増えた
  • 台湾の各地に水力発電所を建設し、電気を使えるようにして工業を発展させた
  • 伝染病が流行らないように、衛生所を各地に建てて衛生改善を進めた

これらの政策を進めて、東京と同じ水準にまで台湾の経済を発展させたのです。

全て日本のために行ったことでしたが、結果的には台湾人のためにもなったのです。

だから、台湾人は「こんなことなら中華民国より日本のほうがまだ良かった・・・」と思うようになりました。

 

これによって、「中華民国」に対する不満が爆発し、台北でデモや抗議活動が起こりました。しかし、これに対し「中華民国」は機関銃で無差別に発泡し、多くの台湾人を殺害してしまいました。

それだけでなく、「中華民国」に反対する者は投獄や処刑されるようになりました。その数は約14万人ほどにも及んだと言われています。

その後、「中華民国」は1987年まで台湾を恐怖政治によって治めることになり、台湾の各地に蒋介石の銅像を建てて、台湾人に蒋介石を「中華民国」の偉大なる指導者として強制的に崇めさせようとしました。

 

 

こういった歴史の背景によって、もとから台湾に住んでいた人の多くは「中華民国」を嫌い、「台湾」は「台湾」だ!と主張しています。

現在の台湾には、「国民党」と「民進党」という政党があります。

 

「国民党」は、大陸から逃げてきた「中華民国」の人たちの多くが入っている政党です。台湾は独立国としての「中華民国」だから独立する必要はないし、中国は全部自分たちの領土だと主張。出来ることならば、かつて蒋介石が中国統一していた状態に戻したいと考えています。

「民進党」は、もとから台湾に住んでいた人たちの多くが入っている政党です。もはや「中華民国」は存在しない。台湾は台湾という国として、国民全員が台湾人として生き、中国そして「中華民国」とは決別して独立しよう!と主張しています。

 

こういった理由で、「中華民国」とは呼ばず、「台湾」が一般的な呼び方になったのです。

 

まとめ

 

複雑に絡んでいる中国と台湾の歴史。それを紐解いていくと、その歴史の背景に、台湾の正式名称であるはずの「中華民国」が一般的な呼び方にならなかった理由がありました。

現在も、国際社会においては、台湾は国家としては認められていません。

でも、台湾は台湾人が政治を行い国の方針を決めています。だから実質的には、独立している状態だと言っても良いでしょう。

 

独立に関しての考え方は、同じ台湾人でも、やはり人によってそれぞれです。

ぼくが台湾の高雄に行ったとき、お世話になったホテルの女性社長さんとお話する機会がありました。

そのときに、政治のお話になったのですが、その方は「台湾は中国からの観光客が多い。だから、中国と仲良くしたほうが私たち旅行業界にとっては儲かるし助かるのよ。」と言っていました。

それに、今の若い人たちは、当然ながら戦争なんてしたくないと思っている人は多いです。

もし独立するとなれば中国との戦いは避けられません。

だからこそ、独立できないのは残念だけれど、バランスが取れている現状を維持したほうがベストだと考えている人は多いようでした!